広島カープを応援して26年。この26年が今のカープを作り上げた。

 

どうも。

1991年、広島カープが優勝。

幼い僕は広島カープの魅力にはまり以後、ずっと見守り続けたケイです。

カープが先日2連覇を達成。

前回の連覇は1979〜1980年。

2度目の連覇は巨人以外成し遂げていません。

この1979年〜1991年の間はカープの黄金期。

僕はこの黄金期の真っ只中1985年、阪神が優勝した年に生まれました。

そして1991年、広島カープが優勝し僕は広島ファンに。

カープを応援しながら野球をする子供でした。

 

2017年、広島カープが2連覇。

緒方監督が宙を舞い、新井選手がチームを引っ張る。

野村監督が見出した丸、菊池選手。

僕は思いました。

 

この26年。

ほとんどが苦しい時代。

でも気付けば、その苦しい時代を過ごしてきた選手達によってこの連覇は成し遂げられたんだなと。

 

僕の広島カープファン歴26年を振り返ってみたいと思います。

 

1991年の優勝。カープの黄金期。

幼い僕はテレビで広島カープの優勝のニュースを見ていました。

僕の地域は田舎でテレビ中継といえば巨人戦。

なので周りの人も必然的に巨人ファンが多かったです。

広島ファンの僕はある意味、異端の存在。

僕はある選手の虜になりました。

 

前田智徳選手

 

カープファンなら誰でも知ってるレジェンド。

 

1991年、主要スタメン

1、二  正田

2、中  前田

3、遊  野村

4、左  西田

5、右  山崎

6、一  小早川

7、三  江藤

8、捕  達川

 

主力投手

佐々岡、川口、北別府、大野

 

これに現在監督の緒方選手も数多くの試合に出場していました。

僕はとにかく広島カープが好きで前田智徳選手が大好きでした。

 

カープ歴史上最強メンバー、そして暗黒時代のはじまり。

1996年。

おそらくカープの歴史上最強のメンバーとして名高い年。

他球団ファンでも今の新しい広島ファンでも息を飲むとんでもないメンバーでした。

 

1、遊  野村

2、二  正田

3、中  前田

4、三  江藤

5、左  金本

6、一  ロペス

7、右  緒方

8、捕  西山

 

どうでしょうか?

このころの野球ゲームでも強かった広島。

実際にペナントでも中盤まで独走状態の広島。

しかしこの年に優勝したのは巨人。

巨人とは最大11.5ゲーム差をつけてたのです。

 

1996年7月9日。

僕はこの日が広島カープの低迷期、暗黒時代のはじまりだったと今でも思っています。

小学生だった僕は今だにその時の光景が鮮烈に焼き付いてます。

夏になると毎年恒例で札幌市の円山球場で巨人-広島戦が行われます。

今でこそデーゲームは普通ですが、当時はナイターが普通。

円山球場の試合は平日のデーゲーム。

学校が終わった僕は急いで家に帰り巨人-広島戦を見ました。

 

そこで事件は起きました。

 

9者連続安打一挙7点

 

巨人打線が爆発。

これは当時のプロ野球記録。

この年の巨人はメークドラマとして流行語大賞にもなり、当時の選手もレジェンドばかりいるすごいメンバーでした。

ちなみに少年野球団に所属していた僕は巨人の選手がファンサービスで地元にくるというイベントに参加しました。

地元の少年野球団と一緒に写真を撮ってくれるイベント。

そこに来た巨人の選手は川口和久選手。

僕は川口選手に握手してもらいました。

でも複雑でした。

古い広島ファンの方なら分かると思いますが川口選手は広島の黄金期を支えた投手。

その広島を裏切って巨人に。

小学生だった僕には喜んでいいのかよく分からない複雑な気分でした。

 

前田智徳選手の怪我、相次ぐFA流出。とまらない暗黒時代の到来。

前田智徳選手は怪我とともに歩んだ野球人生といっても過言ではありません。

1995年に右アキレス腱断裂。

若かった前田選手は次の年には復帰しますが以後、引退するまで怪我との戦いでした。

2000年には左アキレス腱を手術。

もし怪我がなければ前田智徳選手はどんな選手になっていたのでしょうか。

広島ファンにとっての永遠の疑問です。

 

そして相次ぐFA流出。

それもチームの核となる4番バッター。

1999年、江藤選手が巨人へ。

2002年、金本選手が阪神へ。

2007年、新井選手が阪神へ。

2013年、大竹選手が巨人へ。

これとは別に2004年にシーツ選手は阪神へ。

主力が広島を離れる。

特に江藤、金本、新井、シーツ選手は広島の4番を張っていた選手。

広島は他球団と違いお金がありません。

なので選手の年俸も低い。

年俸高騰を防ぐために選手のFA宣言からの残留を認めません。

 

FA権を獲得した選手は他球団がどのような評価を自分に持ってるのか知りたいのが当然。

一般人でも自分はどれくらい他の会社から評価されるのか知りたいですよね。

プロ野球選手も同じ。

 

しかしFA宣言して他球団の評価を聞くと他の球団はこれだけ自分を評価してくれると年俸の引き上げを要求します。

広島はお金がないのでこれを防ぎたい。

なので上記の選手たちは広島の球団運営方法の是非を問うためにFA宣言して広島を離れていきました。

 

相次ぐ主力の流出で広島はもはや下位争いの常連へとなっていきました。

 

自前の選手を我慢して育成する。

広島はFA宣言した選手もとりません。

ドラフトか海外の選手を獲得するだけ。

今でこそ広島の育成方針は賞賛されてますが、当時のファンはやきもきしたでしょう。

黄金期だったころは天才型の選手が多く、前田智徳選手や野村謙二郎選手、江藤選手などすぐに才能を開花しました。

 

しかし低迷期は我慢の育成。

金本選手が去った広島が特に力を入れて育成した選手がみなさんご存知の

新井貴浩選手。

 

 

新井貴浩

1998年、ドラフト6位で入団。

彼の大学時代の成績はとくに目立ったものは無し。

大学時代通算の本塁打数もたったの2本。

大学の先輩である野村謙二郎選手に直談判しにいき、野村選手のコネを使って入団したようなもの。

なので6位という下の順位の指名だったのです。

結果的には野村謙二郎選手に選手を見る目があったからこそ今の新井選手がいるわけです。

若手のころの新井選手はのびのびとプレーし順調に成績を伸ばしました。

 

金本選手が去ったあとの4番。

誰もが期待していました。

しかし責任感の強かった新井選手。

周囲の期待でプレッシャーに押しつぶされます。

極度の打撃不振。

いや、そもそも新井選手はここまでの選手だったのか。

当時の広島ファンは新井選手を叩きます。

なぜそこまで必要に新井選手にこだわるのか。

 

広島は新井選手を信じていました。

2003年、2004年と極度の打撃不振で二流の選手となってしまった。

それでも新井選手の才能を信じる。

 

2005年、内田コーチとの出会いで新井選手の才能が開花します。

この年から新井選手は広島の4番打者として文句のない成績を収めていきました。

 

下の世代には栗原選手が育ってきている。

暗黒時代の終わりが見えて来た矢先のFA宣言。

2007年、新井選手は広島を去りました。

 

ブラウン、野村謙二郎監督時代。徐々に変わっていく広島カープ。

相変わらず5位、6位が定位置の広島。

広島カープの監督は球団OBというのが暗黙のルール。

2006年、元広島の4番打者マーティブラウン監督が就任しました。

ブラウン監督時代も低迷していた広島ですが、ブラウン監督が残した形跡は大きいです。

やはりアメリカ人特有の陽気な発想なのか、とにかくファンサービスを重視していました。

どうやったらファンが喜んでくれるか。

ブラウン監督は常に考えてました。

監督としては史上最多の退場回数。

ブラウン監督は審判に抗議する際のパフォーマンスがウケました。

ベースを引っこ抜いて投げたり、ホームベースを土で隠したり。

そしてファンの写真撮影やサインには笑顔で対応する。

低迷期でファンが少なかった広島は徐々にメディアで紹介されるようになりました。

 

2010年、野村謙二郎監督が誕生します。

前年にマツダスタジアムに本拠地を移した広島カープ。

野村監督はコーチ経験がありませんでしたが、元々メジャー志向の高かった選手。

現役時代から英語などをたしなみ、引退後もメジャーの臨時コーチをするなど勉強家でもありました。

 

しかし野村監督の采配は非難が殺到。

毎日のように叩かれていました。

 

でも僕は野村監督の采配は間違っていないといつも思ってました。

10年以上もBクラス。

FAで補強もできない球団。

万人受けするような采配ではとてもじゃないがAクラス入りは難しいです。

2013年ついに16年ぶりのAクラス入りを果たします。

2014年もAクラス入りしようやく広島の暗黒時代の終わりが見えてきました。

マツダスタジアムが開場してから球団はファンサービスを特に重視し、徐々に強くなっていく広島。

観客動員数も増えていき人気球団のひとつとなっていきます。

野村監督はここで丸選手や菊池選手を見いだし、広島伝統の育成をこの2人に施しました。

 

そして2013年、僕の大好きだった前田智徳選手が野球人生に幕を落としました。

 

広島の黄金期のはじまり。それは紛れもなく暗黒時代の選手たちの功績。

広島カープが2連覇。

数年前までは予想もできなかったこと。

でもこの2連覇の立役者はやはり暗黒時代を経験した選手たちの賜物。

前途の野村監督時代に育成され丸選手や菊池選手。

コーチ陣は緒方監督をはじめ、

東出、小林幹英、浅井、菊地原、澤崎、佐々岡、迎、森笠、青木。

みんなカープの暗黒時代を経験した選手。

そこに新たな力。

野村、ジョンソン、薮田、丸、菊池、田中、鈴木、など。

選手もみんな若い。

当分はカープの黄金期が続くでしょう。

 

そして阪神をクビになり、広島に戻ってきた新井選手。

いろいろ葛藤はあったでしょう。

広島を捨てて阪神へ行った。

どんな面で広島に帰ればいいのか。

ファンは受け入れてくれるのか。

しかし真面目で素直な新井貴浩選手。

その人柄にファンはなんの文句もなく受け入れました。

 

新井選手も広島に恩返ししようとガムシャラに頑張りました。

そして黒田投手。

昨年引退されましたがヤンキースからの10億円以上のオファーを断ってまでも広島に戻ってきました。

カープの黄金期のキッカケ。

これはこの2人の功績といっても間違いではありません。

 

暗黒時代に夢を見せてくれた選手達

暗黒時代に頑張ってくれた選手達も無視はできません。

引退した選手や2軍暮らしが続く選手ばかりになってきました。

しかしその選手達の指導なども若手の成長に役立ってます。

長年ショートでレギュラーをはった梵選手。

梵選手と二遊間をはり、チームを引っ張った東出選手。

新井選手が去ったあとに4番に座りチームを助けてきた栗原選手。

どれだけチームが負けても鼓舞しつづけた前田健太投手。

抑えとして踏ん張った永川投手。

首位打者を獲得し広島打線を強力なものにした広瀬選手と嶋選手。

超人的な守備で何度もピンチを救った赤松選手。

長年広島の捕手を担った石原選手と倉選手。

ユーティリティプレイヤーとしてどこの守備でもした小窪選手。

そしてレジェンド前田智徳選手。

 

最近ファンになった方にもこれらの選手のことはしっておいて欲しいです。

この選手達のおかげで今の広島カープはあるのです。

 

また数年後暗黒時代が訪れるかもしれません。

今の若手の選手がFAをし、他球団やメジャーにいくかもしれません。

でも広島に入団した選手はほとんどがカープを愛しています。

だからこそ新井選手や黒田選手がカープに戻ってくるわけですし、横浜のレジェンドだった石井琢朗選手も引退しても広島に残り続けてくれます。

 

育成の広島。

給料が少ない広島。

FA選手を取らない広島。

12球団あるプロ野球チーム。

でもそれが魅力で広島カープに惚れた僕。

 

黄金期が終わっても暗黒時代が始まってもいつまでも広島にファンでい続けたいと思います。

長くなりましたが、僕の26年間の思いを記させていただきました。

 





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